輪島の中心にある「輪島KABULET(カブーレ)」(以下、カブーレ)。この場所は、“ごちゃまぜ”の機能を持ちながら、地域の人々を受けとめてきました。2024年の地震や豪雨のとき、地域の人たちは自然とここへ足を向けたといいます。「ここに来れば誰かに会える」。そんな“拠点”としての存在を、日々の営みの中で少しずつ形にしてきたのが、ここカブーレ。今回は、施設長の寺田誠さんにお話を伺いました。-カブーレとはどんな場所ですか。寺田さん:源泉かけ流しの温泉や自家製麺にこだわった本格的な蕎麦屋、高齢者デイサービスなどさまざまな施設があります。福祉、子育て、食事、温泉、観光、地域のつながり、どれか1つには収まりきらない“ごちゃまぜ”の機能を持った場所です。-カブーレが出来たきっかけを教えてください。寺田さん:カブーレの始まりは政府が進める“生涯活躍のまちプロジェクト”なんです。プロジェクト自体は2015年12月にスタートして、施設としてカブーレがオープンしたのは2018年になります。日本では少子高齢化の次に人口急減が来ると言われていて、2014年に“増田レポート”という資料が出たんですね。それを見ると、輪島市の人口も2万6千人から、2040年には1万3千人になるという数字が示されていました。それで、輪島市も“このままではいけない”とプロジェクトに手を挙げたのが最初です。ただ、 手を挙げたものの、“どう進めたらいいかわからない”という状況の中で、社会福祉法人として“ごちゃまぜの地域づくり”に取り組んできた佛子園と青年海外協力隊の経験者が集まる青年海外協力協会(以下、JOCA(ジョカ))に相談があったんです。佛子園の雄谷理事長は、JOCA会長も兼任しています。-寺田さんはどうして、この取り組みに参加されたんですか。寺田さん:私は埼玉県春日部の出身で、輪島とは縁が全くなく、もともとはホテルでフレンチのシェフをしていました。その後、青年海外協力隊でアフリカのシンバブエに行って、帰国後に災害支援を経験し、東日本大震災の時は復興庁で岩手を担当していたんです。復興が進んでいく中で“次に来るのは地方創生だ”と感じていたので、輪島の取り組みに参加したいと思いました。僕もそうなんですが、そこで経験者10人がJOCAからの出向という形で投入されたんですね。協力隊経験者って、地域開発の技法などを学んで現場に出ているので、課題分析や関係者分析が得意なんです。“誰に応援してもらえば前に進むか”という相関図を最初につくりながら、地域の課題を丁寧に拾っていきました。-地域の課題分析では、どんな問題が見えてきましたか。寺田さん:中心市街地の空洞化ですね。核家族化が進んで、子ども世帯は外側に家を建てる。親が亡くなっても戻ってこない。そうすると中心地が空き家・空き地だらけになる。さらに、ご近所付き合いも薄くなってきている。都会の話と思われがちですが、田舎でも同じなんです。“人と人の関係”が弱まると、地域はいろんなものを失っていきます。そこで新しい町をつくるのではなく、今ある町の中で、空き家や空き地を使って人が集まる仕組みをつくる。そうすると、どこの町でも何かあれば同様のことが出来ます。人が集まる仕組み、人が関わる仕組みっていうものを作って、 人との関わりを再生させていきたいっていうのが、 僕らのプロジェクトの肝の部分です。-どうやって人が集まる場所を考えましたか?寺田さん:人が集まるには“行く理由”が必要です。調査をすると1,000メートル地面を掘れば温泉が出ると分かって、実際に掘りました。輪島は高齢化が進んでいる地域でもあるので、健康増進につながる施設は必要でしたし、一方で、子育て世代のために“ママカフェ”のような場所もあったらいいよね、という意見もありました。そういう考え方で組み立てていったんです。温泉はカブーレの半径300メートル・209世帯が無料で利用できます。それによって“来る理由”が生まれますよね。ただ、ポイントは“来ている人を見る”より、“来ていない人に気づける”ということなんです。名前を書く入湯記録簿や札の裏返しで“しばらく来ていない人”がわかる。そうすると“あの人はどうしたんだろう”と地域全体で気付けますよね。これが見守りの仕組みになりました。-たくさんの方が関わる中でこれまでどんな拡がりがありましたか?寺田さん:そうですね。例えば、「うめのや」さんという大きな個室タイプの居酒屋が廃業したんです。そこで何か面白いことをやってくれないかという話がきて、観光客向けのゲストハウスにしました。本当は建て替えたほうが安かったんですが、建物が立派で、地域の思い出を背負っていたものを壊したくなくて。外観はそのまま使いました。あと、名前も「うめのや」という屋号を残して、内部をゲストハウスや中華そば屋、コワーキングスペースにしました。それから、市役所の2階に空きスペースがあるという事で、カフェを設けました。そうすると雇用も生まれるんですよね。地元の雇用と障害がある方の雇用と。 ベッドメイキング、客室清掃、コーヒードリップなど、地域の中に“自然な形で働く場”ができていく。福祉と地域と観光が、ごちゃまぜになって支え合う。こういう形ができたのは、すごく大きかったと思います。-2024年元日の地震が起きたときのことを教えてください。寺田さん:福祉施設って、一般住宅よりも耐震基準が厳しいんです。だから建物自体は持ちこたえてくれました。中はぐちゃぐちゃでしたけど。ただ、“ここが動かなきゃまずい”と思って、1月2日には市役所2階のカフェを福祉避難所にしました。一般の避難所では過ごしにくい高齢者や障害のある方を受け入れるためです。4月末まで、4カ月間運営しました。それから、1月11日に電気は戻ったんですが、水は2月下旬まで戻らなかったんです。でも温泉は無事だった。うちの温泉って60度もあるんですよ。本来は屋根の上のタンクで水と循環させて40度くらいに下げて入ってもらうんですけど、水がない。どうする?という話になって。そこで羽咋の浄水場に協力をしてもらって2日に1度水を運んでもらったんです。その水をペットボトルに入れて湯に沈め、かけ湯用に温める方法をつくりました。1月12日から入浴支援を始められたので本当に良かったです。入所施設の方は自衛隊のお風呂まで行けない場合が多いんですよね。だからまずは施設の方に入ってもらって、徐々に地域の方にも広げました。9月の豪雨前までに、のべ5万人がここに入りに来ています。-9月の豪雨では、カブーレも被害を受けましたか?寺田さん:床上浸水し、公用車も流されました。でも地域の方が“ここが戻らんと困る”と言って自分の家も大変なのに復旧を手伝ってくれました。そのおかげで9月21日の豪雨から12日後の10月3日にはお風呂を再開できました。もう本当に泣けましたね。-地震・豪雨からの復旧の中で、カブーレは地域にとってどんな場所でしたか。寺田さん:被災のあとって、みんな大変な経験をしているから、話したいんですよ。“あの時こうだった”って。そうするとカブーレの中にあるお店のカウンターがいっぱいになるんです。実はPTSD(心的外傷後ストレス障害)の対処療法でも、“安全な場所で危険だった時の話をする”というのはすごく意味があるんです。だから実はここのカウンターで接客をしているスタッフっていうのは、そこでソーシャルワークをして、みなさんをサポートしてるんですよ。 僕ら福祉だから。 この人ちょっと危ないぞっていう時には、 一気に全方向からサポートに入るっていうことを、ずっと繰り返してやっていました。-地域の人にとって、カブーレは“戻ってこられる場所”だったわけですね。寺田さん:そうだと思います。電気が戻った時、お蕎麦の香りがカウンターからしてきたんですよ。匂いが戻った、というか。“あ、日常が帰ってきたな”と。ここに来れば、ほっとできる。それをとにかく早く戻すことを意識していました。-仮設住宅での生活も長期化していきました。カブーレはその中で、どのように支援を広げていったのでしょうか。寺田さん:輪島市から委託を受けて、仮設住宅3,161件すべての見守り訪問を行っていました。でも、訪問って“状況を把握する”ところまでなんですよね。そこで“小さなカブーレ=コミセン(コミュニティセンター)”を仮設住宅の中につくろうと考えました。集会所機能・福祉サービス機能・コミセン機能を“合築”したコミセンは、日本の災害では初の試みになりました。できるまで本当に大変でしたが、必要だからつくりました。-コミセンはどんな活動をされていますか?寺田さん:コミセンにもお風呂があって入湯記録を付けているんですね。それで来ている方や来ていない方を把握できている。そんな中でオンライン診療を始めていきました。車がない方も多いので、オンライン診療で処方箋を出してもらって、薬局が仮設住宅まで薬を持ってきてくれる。それだけで負担が大きく減るんですよね。郵便も“困っている”という声からコミセンにポストも作りました。-コミセンはどんな場所を目指していますか。寺田さん:“フェーズフリー”な空間です。“フェーズフリー”とは、平時に使われていたものが、災害時にもそのまま活躍できるという考え方です。コミセンはまさにそうで、普段は食堂であり、銭湯であり、デイサービスであり、働く場所であり。それらが仮設住宅の中にあるから、有事にはそのまま活動できる拠点になる。これからの地方や中山間地域には、こういう“フェーズフリー”な拠点が必要だと思っています。-最後に読んでいる方へのメッセージをお願いします。寺田さん:まだまだ復興には時間がかかると思います。そんなに簡単なものではないので。だからこそ、輪島に来て欲しいという思いがあります。有償ボランティアも受け付けていますし、そこで仮設住宅の皆さんへの見守り訪問もやっています。 どういった形でもいいから能登、輪島と関わって欲しいと思いますね。それが旅行でもいいと思っています。 プレハブで飲食店が再開をしていたりもするので、 そういうところに行っていただいて応援して欲しいというふうに思います。