コワーキングスペース「OKNO to Bridge(オクノトブリッジ)」を能登で運営している合同会社CとH。今回はCとHのCEOである伊藤さんと、その活動に関わりながら自らも能登での起業を準備する藤田さんにお話を伺った。二人の言葉を通して、“震災後の能登”と“OKNO to Bridge”という拠点の姿に迫る。-伊藤さんにとって、能登はどんな場所だったのでしょうか?伊藤さん: 母が珠洲市出身なので、子供の頃から夏休みは必ず能登に来ていました。1週間から2週間程度、祖母の家で過ごしていて、その時間が一年でいちばんの楽しみだったんです。すごく思い出深い土地で、大人になってからも、基本的には途切れずに来ていました。-なぜ能登を活動場所に選んだのですか?伊藤さん:コロナ禍の時期にフリーランスとして奥能登の地域活性化プロジェクトに関わったのがきっかけです。そのプロジェクトに関わらせていただく中で、土地への思い入れも強くなり、友達も増えていきました。元々働き方や場所にこだわらない方だったので、能登で過ごした時間の方が人生が楽しいと感じ、ここを主軸に自分の拠点を作るためコワーキングという形で「OKNO to Bridge」の活動を始めていきました。-「OKNO to Bridge」では具体的にどんな活動をしているのですか?伊藤さん:「OKNO to Bridge」というコワーキングスペースを入り口にして、コミュニティづくりをしています。拠点は珠洲を中心に、金沢や高岡にもあって、地域内外の人が行き来できる形を作っています。復興だけを目的にしているわけではなくて、社会起業家の育成だったり、女性の仕事づくりをテーマにした活動をしています。あとは、珠洲市の観光再生の事業に関わったり、企業研修や視察ツアーのコーディネートをすることもあります。会員の方も100人以上いて、学生から社会人、引退された世代まで、ここを起点に何かを始めようとする人が集まる場所になっていますね。-「OKNO to Bridge」をどんな場所にしたい、という想いがありますか?伊藤さん:いろんな人が、いろんな形でここを行き来している状態が理想でした。観光でもいいしインターンシップでもいいし、事業を始めるでも。そんな人たちが新しいことをチャレンジしようと思った時に「ここに来れば、何かあるよね」と感じてもらえる場所にしたいです。そして、私にとって能登が“帰る場所”だったように、この拠点も、誰かがまた戻りたくなる“居場所”になれたらと思っています。-令和6年能登半島地震がありましたが、当時拠点や活動にどんな影響を与えましたか?伊藤さん:最初に作った拠点は、今の場所ではなくて、親戚の家を使っていました。その建物は震災で被害を受けて、解体することになりました。ただ、事業として何かが止まった、という感覚は正直あまりなくて。立ち上げたばかりだったので、まだ「失うものが大きかった」というよりは、これからどうするかを考える段階だった、という感じですね。-震災当日はどうされていましたか?伊藤さん:その日は東京から車で能登へ移動していて、高岡のコンビニにいた時に地震がありました。揺れがかなり大きかったので、これはただ事じゃないなと思いました。すぐには能登に入れなかったので、状況を見ながら、翌日に行けるところまで行こうと決めて向かいました。道路もかなり割れていて、渋滞もすごかったですが、それでも秩序を保ちながらみんな動いていたのが印象に残っています。- 拠点を失う中で、やめようと思うことはありませんでしたか?伊藤さん:あまり考えなかったですね。他にやろうと思うこともなかったですし。半年くらい関わってきた中で、すでに人との関係性ができていたので、それがあったから震災後も動けた、というのはあると思います。 - 藤田さんは、もともと能登の出身ではないとのことですが、なぜ能登に?藤田さん:はい。愛媛の松山に生まれて、香川で育ち、東京でIT関係の仕事をしてきましたが、能登に別の仕事を手伝いにきたことがきっかけで関わるようになりました。ここに何度も来る中で、非常に魅力的な土地だと感じたので、2025年2月に東京での仕事を辞めて能登での二地域居住を決めました。- 能登のどういった所に魅力を感じましたか?藤田さん:能登には見過ごされてきた価値が多いんです。正直、「なぜこんなに豊かなのに、こんなに知られていないんだろう」と思いました。自然が上にあって、自然の下に漁業や農業、そして、食文化や祭りがある。この三角形が綺麗に統一されていて、住んでいる人たちが自然と共存しています。能登には全てがあります。こんな場所は、本当に珍しいです。多くの都市では自然と共存するのではなく、自然を制覇しようとするんです。でも、ここの人たちは物を手にして自然と闘うのではなく、自分を強くしようとする。だから能登の人は生きる力が圧倒的に強いのかと思ったんです。 能登の人から、人間力の高さをすごく感じたんですよね。-二地域居住をしている能登で今はどんな活動をされていますか?藤田さん:今は漁業などの一次産業を支援する事業を準備しているところです。漁業の課題をちゃんと理解したくて、漁師さんの格好良さだったり原動力って何なんだろう?って部分を、ちゃんと肌で感じたかったので、自分でも海に出て魚を採っています。データだけで事業をやっても続かないと思ったので。- 能登で事業をする中で大変なことは?藤田さん:資金調達がやっぱり大変です。お金の面では苦労しているところはありますね。あと、仲間を見つけること。どうしても、今時のビジネスをしないと都市部に売っていくのは難しいので、SNSの運用なんかに関しては、できる人を東京で見つけてこないといけない。そういったところに能登と東京の2拠点でやっている理由があるんです。- 「OKNO to Bridge」とはどういった出会いでしたか?藤田さん:能登で漁師さんの手伝いをしている中で、困りごとがでてきたときに、知人から伊藤さんを紹介されたんです。連絡してみると、あっという間に困りごとが解消されました。それをきっかけに、伊藤さんの運営する「OKNO to Bridge」と関わり始めて、たった数ヵ月でたくさんの人とのつながりが出来ていきました。自分の事業に大事なのは「生の声」だったので「OKNO to Bridge」を通じて、生産者の方など多くの人と会うことで参考になりました。「OKNO to Bridge」は「箱」自体ではなく、そこにいる、伊藤さんたち「人」の魅力があるから、それだけ多くの人々が集まっているんだと思います。- 「OKNO to Bridge」は今後どんな拠点になっていきそうですか?藤田さん:ここからいろんな事業や挑戦が生まれる能登のハブになっていくと思います。ここに来れば絶対誰かに会えるっていう。ここのコミュニティで僕はいろんなキーパーソンに会わせてもらえましたし、これからもこの関係は続いていくと思っているので、僕にとっても戻って来られる場所になっていくと思います。伊藤さん:祖母の家で過ごした小さい頃の能登の思い出は、私にとってすごくワクワクしたものなんです。「よく来たね」って言って迎えてくれる人がいる。心待ちにして、ご飯もいっぱい用意してくれて。海で遊ぶのも楽しかったけど、自分を待っていてくれる人がいることが本当に温かかった。なので、この拠点も、来た人がまた戻ってきたくなる場所になって、私たちは家族のように「お帰り」って言って迎え入れられるような存在になって。そういう循環が生まれる場所になれたらいいですね。-最後に読んでくれている方へのメッセージをお願いします。藤田さん:能登は最先端だと思いますし、能登にはすべてがあります。漁をやっていて獲った魚が本当にうまいんです。その美味しい魚を食べた時にめっちゃ幸せって思うんです。世界一なんです。ぜひ食べに来てほしいですし、そんな能登の中心のひとつとして、「OKNO to Bridge 」が育っていくと嬉しいですね。伊藤さん:能登には、都市では気づけないものがあります。人や、コミュニケーションのあり方。本質的なものがここにはあると思うんです。能登はより豊かに生きられる場所だと私は思っているので、もし何かのきっかけを今、探しているなら、一度、能登に来てみてほしいですね。