2024年1月1日。石川県能登地方を襲った大地震は、七尾市の「一本杉通り商店街」にも甚大な被害をもたらしました。古くから地域に根差したこの通りでは、多くの店舗が倒壊し、再建を断念せざるを得ない店もありました。それでも、この通りが少しずつ息を吹き返し始めているのは、そこに「人のつながり」が生きていたからです。今回は、130年以上の歴史を持つ老舗・高澤ろうそく店5代目で「一本杉通り振興会」会長の高澤さん、日本料理店「一本杉川嶋」の川嶋さん、埼玉から移住し古民家再生やIT事業を手掛ける岡田さんにお話を伺いました。■ 商店街のこれまで高澤さん:この一本杉は明治の中頃に大火があったんです。ここ一帯が全部焼けてしまうという事が過去に2度も。僕たちの先祖もその都度お店を再建して、火事が心配ないように蔵造りの家にしたりしていました。振り返ってみると、一本杉通りにある商店の皆さんは、その時代時代に一生懸命頑張って来られて今があるんですよね。そしてこの商店街は多くの方がお店に住みながら商売をしていますので、生活上の付き合いや関わりも強いんです。なので自然と一体感が生まれてくるのがひとつの特徴かなと思います。お客さんとも物の売り買いだけではなく、雑談などの何気ない会話を通じて強い関係が生まれます。だからこそ、こうした場所は現代でも残すべき大切な場所だと思っています。■ 地震が起きた時の状況は?高澤さん:発災時は県外の妻の故郷にいました。地震が起きたと分かってすぐに両親に連絡して、無事を確認し一安心した後「お店が潰れたよ」と聞かされて。心の中が不安でいっぱいになりました。戻れたのは翌日の2日。お店の前まで行きましたが夜だったこともあり状況をすぐに把握することが出来ませんでした。その足で避難所に行き両親と再会したとき、お店は潰れたけど絶対に建て直そうという話をしました。迷わずに。うちのお店は長く建っているところですし、僭越ながら象徴的な建物でもあるので、 それを建て直すということは、 皆さんに希望を持ってもらえるんじゃないかと思ったんです。 川嶋さん:発災後、高澤さんも含め通りの方たちも生産者の皆さんも、状況はひどいけど必ずもう一回ここで復活するって口を揃えて言ったんですよ。その言葉を聞いて、自分もここで絶対お店を再建させると決めました。■震災後、1ヶ月ほどで復興マルシェを開催したそうですがどうでしたか?高澤さん:どうやって商店街を立て直していこうかと悩んでいた時に、被災経験のある商店街の方の話が聞けないかという事で、紹介してもらったのが南三陸さんさん商店街(宮城県)さんです。オンラインでいろんな話を聞かせてもらった中で、「町の人はみんな商人だから商売をすれば絶対に楽しくなるから、それをするべきだ」と教えてくれました。幸い、一本杉通り商店街では、地震前からマルシェという形で定期的にイベントを開催していたので運営体制的にも出来そうだなと思ったんです。そこから手作りでチラシの作成をして一軒一軒参加の募集をしました。するとその日のうちに「是非!待ってました!」という声をもらって、気持ち的な後押しになりましたね。行動をすると、支援や協力が集まる。早く動くことの大切さを実感しました。初回の復興マルシェは、地震のすぐ後でしたから従来のお客さんも来てくださって再会を喜ぶ場みたいになって。お店の方たちは久しぶりの販売で、お客さんに直接「ありがとうございました」と伝えられたのが嬉しく、もう一度商売を再開しようと思うほど気持ちいいものだったと話すお店もありました。■開催が決まって苦労したことは?高澤さん:取材の数です。発災直後はすべてお断りしていましたが、さんさん商店街さんから「商店街の復興はマスコミが大事だよ。誰かがマスコミの前に立ち続けて、同じメッセージでもいいから発信しなくちゃいけない。」とアドバイスをいただいて。そこからは商店街の為にすべての取材を受けるようにしました。大変でしたが、そのおかげで多くの支援に繋がっていきました。■震災前からのイベント「うますぎ一本杉」を震災後も開催した理由高澤さん:マルシェは小規模ですが、「うますぎ一本杉」は通りを通行止めにして行う大規模イベントです。被害が残る通りで安全面を考えると躊躇もありましたが、「現状を直接見てもらう機会になる」という意見が出ました。安全確保を徹底し、被災地で開催することに大きな意味があると感じました。川嶋さん:震災前から賑わっていたイベントなので、あえてこの通りでやるべきだと思いました。多くの人が来て笑顔になり、再建していく町並みを見てもらうきっかけになります。なので今後もこのイベントを継続して、定番にすることに意味があると感じています。■外から見た七尾の印象は?岡田さん:僕は出身が埼玉県なんですが、地元にいた時から田舎暮らしに憧れていて、七尾に移住を決めました。ウェブ制作やシステム開発を行う傍ら古民家の再生も行っている合同会社ノラスを運営しています。七尾に住んでみて思ったのはみなさん本当に親切にしてくれるんです。古民家の再生をするときにもかなりお世話になっていて。そんな中、自分が地元に帰っているときに震災が起きてしまったんですよね。地震を体験することが良いことだとは思わないんですが、自分だけが別の地にいたという事で無力感を感じてしまいました。「何のゆかりもない自分を温かく受け入れてくれたこの町に何かできないか」という想いがどんどん湧いてきて、埼玉にとどまるのではなく、もう一度七尾にいるみなさんの為に出来ることをという想いで戻ってきました。■高澤さんとはどのような繋がりですか?岡田さん:高澤さんたちが復興マルシェを開催しているのを知って何かできないかと思い、埼玉県のお菓子屋さんに応援をお願いしたんです。すると快諾してくれて、そのお菓子を復興マルシェで販売させてもらいました。その時にはまだ一本杉通り商店街には入ってなかったんですが、震災前に、七尾に和ろうそくのお店があることを知ってすぐにお店に行ってお話しさせていただいたことがあって。高澤さんのお話を伺いながら、なんて豊かで素敵な暮らしなんだろうと感じていて。そこから、震災後の2024年6月に事務所をこの通りにオープンさせてもらいました。今は埼玉の地元の方の応援、そしてこの七尾の皆さんから受けた恩。双方への感謝を感じています。■一本杉通り商店街での今後の活動については?岡田さん:僕としては、今まで商店街で根付いてきた業種とはまた違う業種で入ってきていますし、世代も自分たち20代があまりいないので、今までとは少し違う「風」みたいなところを強く持って、商店街をもっと盛り上げたい気持ちでいます。そして一本杉通り商店街を長く続けていきたい思いを持つ若者を増やすような活動を行ってきたいなという風に考えています。■発災後すぐに炊き出しを行った経緯を教えてください。川嶋さん:自分も発災時の元日は大阪にいました。夕方に余震があって心配になり実家の両親に電話をしている最中、一番強い揺れが起きて「また揺れ始めた」という言葉で電話が切れたときにはただ事じゃないと感じて胸騒ぎが止まらなかったです。その後ニュースで現状を知って、自分に何ができるかと。真っ先に食事に困るだろうと考えて、大阪にいながら炊き出しの準備に取り掛かりました。1月3日にようやく車でお店に帰って来れたとき、目の当たりにした現状に泣き崩れました。ただ、すぐに気持ちは切り替わって、炊き出しをやらなきゃという使命感で動いていました。毎日炊き出しに没頭し続けてようやく目途が立った頃、気が付いたら4月で。自分のお店が手つかずになっている状態に、周りから置いて行かれているような感覚になってしまって今思えば鬱状態だったんじゃないかと思います。そこから救われたのは、「この町を食で賑わす」という開業時からの構想でした。そして、料理を学ぶなら能登・七尾にある一本杉に行こうって思ってもらえるような町にすること。それを進めていく機会なんじゃないか、と気持ちを切り替えることが出来たから乗り越えることが出来ました。■一本杉通り商店街への想いとは?川嶋さん:今はまだお店の再開には至ってませんが、その時のために「一本杉川嶋」というブランドを高めていく必要があるので、僕は今外で顔を売るようにしています。売りたいのは自分ではなく、「一本杉」と言う名前と、その背景にいる人たちです。たった1分ちょっとの地震で、 町だとか、お店だとか、自分の家も大切に集めていた器も、 全てがめちゃくちゃになりました。だけど開業してから4年間、この地域の方々と取り組んできたものや絆は壊れなかったです。だからこそ震災があった後も必ず復興できると思いますし、自分だけではなくて、ここにいる地域の人と共に復活していこうという強い決意を持っています。■商店街の今後や、目指す先は?高澤さん:自分の中には地域の再建や再生といった知識がないし、経験が無い。そんな中で今振り返っても南三陸の方たちには本当に助けて頂きました。彼らは「自分たちも多くの方に助けてもらったから、次は自分たちが助ける番だ」と、知識的なことも含めて支援して下さいました。僕たちも今はありがたく支援をいただいていますが、またいずれかは受けた恩を次につなげる立場にならなきゃいけないなと今から思っています。南三陸の方みなさん口をそろえて、「大丈夫だよ」って言ってくれるんです。被災したすぐの自分たちは瓦礫の中にいる状況で、どうなっていくのか不安なんですけど、経験された方が発する言葉は説得力のある言葉で「きっと大丈夫なんだ」と思わせてくれましたね。岡田君も川嶋君もすごい情熱を持ってこの地域を良くしようと努力してくれている。この土地にそういう人たちを呼び込んでいけたら、この通りがこれからも長く続いていく原動力になっていくんだろうなと思っています。震災後、商店街のことを考えた時に、僕たちは一本杉通りに育ててもらったお店なので、一本杉通りの町並みの再建抜きには考えられないなと思いました。再建するにあたっては、外観上はなるべく残していきたい思いがあります。自分たちの建物ではあるんですが、通りの風景は「町ゆく人の記憶」でもあるんです。それが町の雰囲気や価値、空気感、そういうものを作っていくと思うので。それは今でもそうだし、これからもそうであって欲しいと願っています。